伊坂幸太郎さん最新刊『逆ソクラテス』を読んでみた感想

「砂漠」「重力ピエロ」「オーデュボンの祈り」「終末のフール」「チルドレン」「グラスホッパー」…

もう5年近く前ですが、学生時代のひと夏、時間を忘れて読みふけっていたのが伊坂幸太郎さんの作品です。
「自分と出身校が同じである」という単純なきっかけでしたが、読み進めるうちに一気にのめりこみました。
私にとっては「文章を読むことの快楽」みたいなものを教えてくれた作家さん。

ただ、個人的には「火星に住むつもりかい」があまり合わなかったこともあり、しばらく距離を置いていました。

しかし、自粛期間で内省的な時間を過ごすうちに、なんとなくもう一度「伊坂作品を味わいたい」という衝動にかられ、新刊の『逆ソクラテス』を手に取りました。

今回は、読んでみた感想を思うがままに書き連ねてみたいと思います。

 

『逆ソクラテス』について

本作は5本の短編小説(「逆ソクラテス」「スロウではない」「非オプティマス」「アンスポーツマンライク」「逆ワシントン」)からなる作品で、後半3本が書き下ろしとなります。

「僕は、そうは、思わない」

 「敵は、先入観。

 世界を ひっくり返せ!」

 

なんともドキドキするコピーです。

本作は伊坂さんにしては珍しく、全て小学生が主人公の物語。
といっても、決して子供向けというわけではなく、むしろ大人が読むからこそ意味のある本です。
そして、「伊坂幸太郎史上、最高の読後感」という呼び名にふさわしい作品だと思いました。

今回は表題作である「逆ソクラテス」について綴っていこうと思います。
(ネタバレも含みますので、まだ読んでないという方はここで読むのをストップしてください!)

 

あらすじ

購入したばかりのテレビで野球の実況中継を見る主人公加賀が、自分の小学生時代を振り返るところから物語は始まる。
場面はある日の学力テスト。主人公は最近引っ越してきた転校生から紙切れを受け取り、先生の目を盗んで隣のクラスメイトに渡そうとする。
何をしようとしているのか。そう、いうまでもなく、カンニングだ。主人公らは友人と結託して、カンニングをしようというのだ。
その後も、美術館に飾ってある絵画をすり替える作戦などを企む主人公たちだが、物語は思わぬ結末へ向かう。

 「逆ソクラテス」の意味がわかったときのカタルシス

作品の冒頭部分を読むと、やんちゃな少年たちが悪戯などで、大人を困らせるドタバタ劇が描かれるのかと思ってしまいます。
しかし、さすがは「伊坂作品」。そんな安易な予想を易々と裏切ってくれます。
カンニングや絵画すり替え作戦には理由があったのです。


世の中には、根拠もなしに人を先入観や固定観念で判断する人がいます。

「働くのは男性の仕事、家事は女性の仕事」
「あいつはできるやつだが、こいつは何をやってもだめ」など。

というか、誰の心の中にもこうしたある種の先入観はあるのではないでしょうか。

本作の中では、その代表的存在として登場しているのが「久留米先生」です。
久留米先生は、生徒の「草壁」をダメな奴として捉え、いつも見下した態度で接しています。

そして、そんな態度に抗すように様々なことを実行に移すのが、主人公たちなのですが、中でも、中心人物は、「安斎」です。
安斎は家庭の事情であちこちを引っ越してきた転校生。
そんな経験からか、とても聡い小学生として描かれています。

安斎は主人公や草壁達にこう言います。

「自分は完璧だ、間違うわけがない、なんでも知ってるぞ、と思ったら、それこそ最悪だよ。」(『逆ソクラテス』p.28) 

 

そして、ソクラテスを引用して

「『自分は何も知らない、ってことを知ってるだけ、自分はマシだ』って、そういってたらしいんだ」(同p.28)

 

と言います。


つまり、何でも知っていると勘違いしている人たちはソクラテスの「無知の知」の全く逆の状態。
そう、「逆ソクラテス状態ということなのです。

そして、カンニング作戦や絵画作戦は、そんな逆ソクラテス状態の先生の価値観を揺さぶって、ひっくり返すための作戦だったのです。

この「逆ソクラテス」という言葉の意味がわかったとき、そして、一見悪いはずの行為だったカンニングなどの裏にある事情が明らかにされたときに何とも言えない興奮を覚えました。

「これこれ!こういうのが読みたかったんだ」と。

 まさにカタルシスです笑

本作でも描かれている「大人vs子ども」という構造は、昔からヒットする芸術作品に含まれている普遍的なフォーマットでもあると思います。

音楽でいうと、古くは尾崎豊、ここ数年でいうと、欅坂46の曲なんかが当てはまると思います。

そんな普遍的なテーマに対して、伊坂さんは「逆ソクラテス」という要素を盛り込むことによって、オリジナリティを発揮しています。
うん、おもしろい!

まさかの結末

ここからはほぼ結末に触れてしまうので、ネタバレ嫌!と言う人は本当に読まないでくださいね。

伊坂さんの凄いところは、やはり「伏線回収」です。
「何気ない描写」「読者にさとられないようなレベルで違和感のある描写」が伏線として回収されるという。
もう秀逸すぎて、言葉にできない技術です。

そして、本作品も当然、伏線回収が。

作品冒頭の主人公の加賀が野球の中継を見ているシーンである選手についてこんな描写があります。

「独断専行が過ぎる監督に反発したが故に、スタメンから外されることが多くなっており、そのことはたびたびスポーツ紙やファンから嘆かれてもいた。」(同書p.7)

 作品を読み進めていくと、「監督=久留米先生」、「選手=安斎」のメタファーなのだと思っていました。

しかし、読んだ皆さんにはおわかりの通り、この選手がまさかのあの子でしたよね。
あくまでメタファーとして使われていたのかと思っていましたが、まさかのリアルで繋がりがあったのでした。
これが判明した部分が、もう物語の最高潮。
最高に良かったです。

最後に残る余韻と切なさ

あの子がプロ野球選手になった一方で、当の「安斎」についてはとても切なさを残す結末となっています。
友人と接する態度からは感じられない重たい家庭事情を抱え、数年後の世界でも、行方知れず。
チンピラになっているという噂も。
しかし、あの安斎が単なるチンピラになっているというのも信じられない。
安斎がどうなっているのか知りたい。

もしかしたら他の短編に登場するのでは?なんて期待して読みましたが、そんなこともなく。

読者としては安斎はどうなっているのだろうと想像せずにいられません。
くー、こんな最後を書くなんて伊坂さんにくいですね。


他にも書きたいことはたくさんあるし、言語化ができていないこともたくさんあります。
作戦を実行した直後、主人公の加賀は毎回、久留米先生の表情を見逃している理由とか「打点王」にあえて苗字を与えていない意図についてとかとか。
でも、今回はこれくらいにしておきます。

機会があったら、他の4短編についても書いてみようと思います。
以上、とりとめのない文章になってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。

ちなみに「逆ソクラテス」の初出はこちら↓です。