今回紹介する本のタイトルは『読書する人だけがたどり着ける場所』。
もしそんな場所があるなら自分もいつか訪れてみたい。
そんな気持ちを起こさせてくれ、知的好奇心が絶妙にくすぐられるタイトルです。
さすがは大ベストセラー『声に出して読みたい日本語』の著者・齋藤孝先生です。
読書する人だけがたどり着ける場所とは
さて、気になる本の内容をざっくり紹介します。
結論からいいますと、
「読書する人だけがたどり着ける場所」とは、「深さ」の境地であるといえます。
具体的にいうと何の深さか。
それは「思考力の深さ」であり、「知識の深さ」、「人格の深さ」、そして、「人生の深さ」です。
著者は、本書でインターネットの利用では得られない「読書の価値」を説いた上で、万人が「深み」にたどり着くための方法論を述べています。
さらに、各テーマにあった古典的名著も要約とともに紹介しています。
1人でも多くの人に興味関心を抱いてもらって読書のすそ野を広げたいという著者の狙いとそれを支える圧倒的な読書量と知性が伝わってきます。
このように書くと、非常にお堅く、古典至上主義の本のように思われてしまうかもしれませんが、そんなことはありません。
著者の本業が大学の先生であることもあり、語り口は非常に平易ですし、本以外のものを全否定しているわけではありません。
僕も好きなテレビ番組の1つである「家、ついて行ってイイですか?」(テレビ東京)に対しては、「学びが多い」とおっしゃていますし、ご本人は「漫画も大好き」、インターネットについては「使い方が大事」というスタンスです。
そうした柔軟な考えを持ったうえで、「読書の効用」を主張しているのです。
個人的にはこんな人に読んでほしい。
この本をオススメしたいのは
「本はそこそこ読むけど、イマイチ糧にできていない、教養が身についていると思えない」
という人です。
齋藤先生は「知的な欲求は誰もが持っているもの」(p.38)と述べています。
それは、小学生だろうが、大学生だろうが変わらないといいます。
それゆえすべての人に読書をしてもらいたいという思いから本書を執筆されたのでしょう。
齋藤先生の言うようにすべての人間が知的な欲求を持っている(読書欲がある)という前提に立つならば、世の中の人は2種類に分類できます。
それは、①潜在的に読書欲はあるが、実際に本は読んでいない人と②すでに読書に目覚めている人です。
①の人達にはこの本はおそらく敷居が高いのでは?という気がします。
なぜなら、①の人達はそもそも、「深み」という言葉に魅かれないというか、「読書なんて人生に必要ない」とか平気で言いそうですし、
そうじゃなかったとしても、この本に大量に出てくる数々の名著に対して、辟易してしまうのでは?と思うからです。
(決してバカにしているわけではありません。私自身は本を読むに越したことはないという考えですが、あえて、「本を読まない」という選択をすることを否定しません。)
一方、②の読書に目覚めている層の解像度を上げてみるとさらに下記の2つに分けることができます。
②-1→読書の達人。自分なりの読書方法をすでにを確立している人、
②-2→読書してはいるけど、読書を糧にできている感じがしない人。(←この本が刺さる人)
②-1の人達は自分でバリバリ読書を進めて、それを見事にものにできる人。つまり、「言うことなし」のレイヤーの人達です。
それに対して、②-2の人達はどうでしょうか。
この人たちは、知的好奇心はあって本は読むけれども、なんだか不全感が拭えない人たち。
「読んだはいいけど、内容をあまり覚えていない」
「ありきたりな感想しか言えない」
こういう人たちの事です。
②-1の人達にこそ、この本を読んでほしいですし、読んで役立ててほしいと思うのです。
漫然と本を読んでしまわないための方法
ここで白状します。
何を隠そう、上に書いた「読んでも中身を覚えていない」とか「ありきたりな感想しか言えない」というのは私自身のことです。
そう、私は「記憶喪失人間」であり、「定型文人間」なのです笑
これまで自分の頭がもっと良ければよかったのにとどれだけ思ったことか…
ただ、頭の悪さを嘆いても何も始まりません。
なんでこんな状態になってしまうのか。
原因を考えてみるとそれは、「漫然と本を読んでいる」からなのではないかなと思っています。
みなさんも本を読んでいて、「ただただ文字を目で追ってしまっている」という状態に陥ることはないでしょうか。
「アウトプットを意識して読書をせよ」とはよく言われるけれどなかなかそれが難しい。
そんなときに思い出してほしい文章がこの本の中にあります。
この文章に出会えただけでも、得した気分です。
それは齋藤先生の「読書に対する姿勢」に関する文章です。
「さあこの本を読もう」というときは、じっくり腰を据えて話を聞くような構えになります。著者と二人きりで四畳半の部屋にこもり、延々と話を聞くようなものです。(p.7)
逃げ出さずに最後まで話を聞くとどうなるか。それは「体験」としてしっかりと刻み込まれます。読書は「体験」なのです。 (p.7)
「本を読む」ということは「著者が目の前にいること」だと考えてみる。
もし目の前に著者がいてレクチャーしてくれてるとしたら、そんなに貴重な体験はないですし、自分はどう思ったか、それをどうやって人に伝えるか、今後人生にどう生かすかなどなどいろんなことに頭を巡らせるはずです。
極端な話、『留魂録』を読むときに、吉田松陰が目の前にいたら?と考えると身が引き締まります。
彼は、激烈な思想家・行動家として有名ですから、絶対漫然となんてしていられない。
もし、自分が漫然と本を読んでしまっているなと思ったら、ぜひ目の前に著者がいることを想像していただきたいなと思います。
それから他にもおすすめの考え方がありまして、それは第3章「思考力を深める本の読み方」の中の…
ああ、やばい、他にもたくさん紹介したい部分があるのですが、もう眠気がピークになってきたので、今日はこの辺でやめておきます。
興味を持たれた方はぜひ本書を手にとって、感想を語り合いましょう。
読んでいただいてありがとうございました。
それでは、おやすみなさい。